人工生命とアート・サイエンスのこれから

人工生命、アート・サイエンスのトークセッションに参加したので、メモメモ。

概要

人工知能や人工生命と人間のこれからの関係性の話。
“自律的なボットが人間の集団の共同行動の成績を向上させる“話などなど。

開催概要

青山ブックセンター
2018年10月31日(水)
スピーカー:
塚田有那
ドミニク・チェン
岡瑞起
(池上高志※客席)

人工生命の定義

人工生命はC. G. Langtonによると、
“Life as we know it”「我々の知る生命」
の対比として、
“Life as it could be”「可能な生命」
として定義されている。※1

線形 vs 非線形

アートは非線形、直感など
通常の人の考えは線形である。

Human is a bottleneck

セッションでは、人間の成長は(データ容量が毎年倍になっていくような)非線形ではなく、線形である(つまり成長に限界がある)という文脈で話されていた。セッション後に池上氏にお話を伺っていたところ、本来の言葉の意味は、成長の限界という意味ではなく、データからデータへ、といったように、人(の解釈を?)を通さないデータのやり取りという意味でおっしゃっていた。(プログラムなど人間の考えたフレームワークに捕らわれないやりとりという意味か。)

映える vs evoみ(evocation: 喚起)

人工生命の考え方として”evoみ”を重視している。

例えばアイボ。初代アイボはevoかった。しかし最近のアイボは可愛く見せすぎていて、evoみが足りない。
(ドミニク・チェン氏)

ロドニー・ブルックス

ルンバを発明。元々は画像認識のようなもので掃除を行うという発想が多かった中、単純な行動の組み合わせで掃除を行うという考えで作った。

※その後調べた所、ルンバに搭載されているような考えを「サブサンプション・アーキテクチャ」と呼ぶそうだ。

サブサンプション・アーキテクチャ(以下、SA)は、複雑な知的振る舞いを多数の「単純」な振る舞いモジュールに分割し、振る舞いのモジュールの階層構造を構築する。各層は何らかの目的に沿った実装であり、上位層に行くに従ってより抽象的になる。各層の目的は下位層の目的を包含している。
-Wikipedia

AIの暴走

– AIは暴走するのか?という疑問に対して。
暴走するものとしてどのように対処するかという方向で考えるべき。海外のAIエンジニアは実際に暴走した場合の対処訓練を行うというところまで来ている。

自律的なボットが人間の集団の共同行動の成績を向上させる

Natureの論文のエピソード ※2

ノイズのあるボットは、ネットワークの中心に置かれて中程度(10%)のランダムネスを示す場合に、最もよく機能した。こうした条件下で、ボットは、人間とボットの間の相互作用だけでなく、離れたノードでの人間同士の相互作用も改善し、人間同士が助け合うのに役立った。

人工生命で心を生み出すことができるのか?

心という概念は言葉が生まれたことによってできた。

人工生命のシミューレーションを繰り返す中で、人間が心と呼ぶような現象が生み出される可能性はある。

まとめ

AIによって仕事が奪われるという話をよく耳にするが、岡氏によれば、AIによって人間の役割は変わるが、すべてがAIに置き換わることはないだろうとのこと。

全てがAIによって解決されるべきではない未来が存在しているということ。人間と機械のコミューニケーションの問題を解決するヒントがALifeに秘められていることなど、未来へのヒントが多くあった。

また、AIという手段以外の落とし所を探る考え方も重要であるという話にも納得できた。

話が抽象的であったという点と、記憶ベースで書き起こしたという点で、実際のトークの趣旨や認識に違いがあるかもしれませんので、ご了承ください。

※1:可能な生命(life-as-it-could-be)
※2:集団の制御:自律的なボットが人間の集団の共同行動の成績を向上させる